みわ智恵美

三輪 ちえみ
日本共産党横浜市会議員
駆けある記

瀬上沢遺跡ツアーで実感。人口減少社会到来のなか、貴重な自然を破壊する意味は何も無い、どころか、犯罪的でさえある

2017年12月10日

昨日、瀬上沢基金が、瀬上沢の遺跡めぐりツアーをされると聞いたので出かけた。

いいお天気。本日は、6人参加。

栄区に住んで20年以上だけど、初めてという方も。

縄文人が住んでいた遺跡が発見された、横浜栄高校正門前集合。

長靴に履き替えて出発。

江戸時代の遺跡。田んぼに水を送るための横堰とトンネル。

トンネルの向こう側の田んぼに、川の水をせき止めて送った。1960年代まで使っていたということだ。

頑丈だからというので、トンネルに入ってみた。

このトンネルが、江戸時代から壊れること無く、現在も存在している訳は、

この場所が、160万年前の化石化した場所で、堅くて壊れないから。

それを示しているのが、この貝化石。シロウリガイ(白瓜貝)が多く生息していた海低200mの場所だった。こんなのを地上において見ることができるのは、世界中で、ここだけと。ここは、海底。

この上に、化石の無い地層があり、その上に150万年前の地層が重なっているのだそうだ。写真に写っているガケが、3層になっている場所。

ウィキペディアによると、

シロウリガイは「深海の冷水湧出帯に、大きなもので数十m四方以上にも達するパッチを形成し、ぎっしりと密集して生息する。」というわけで、この瀬上沢では、それが化石化して地上に出ていて、江戸時代には、堅いのでトンネルに利用したという訳だ。

次は、昭和の時代。

昭和9年に地域の人がお金をだしあって、道普請をした記念碑。

案内していただいた方のお父さんのお名前もあった。

その碑の目の前がここ。

東急が開発しようとしている上郷猿田深田側の谷戸(手前側)から流れてくる水と、瀬上沢の池(左側)から流れてくる川の水が合流して、イタチ川の方(上方)へ流れていく場所。

横浜市は、この川の流れを付け替えて開発を認めようとしている。

雨が降ると、瀬上沢からの水は増えるが、深田側からの水は、雨が降っても降らなくてもかなりの量がいつも流れている。

川の流れを変えて、自然の生態系が守れるはずは無いことを、横浜市は何度も経験しているはずなのに、この開発を認めようとしている。

左が、舞岡上郷線道路(舞上線)を建設するにあたって、調査した場所。

 

鉄製生物から出る水の濁りが見られたので、何かあると思った地元の方が、調査を提言して、発掘調査が行われた。

西暦600年代から約200年間、ここで、製鉄が行われていたことがわかる、古代製鉄遺跡が見つかった。

 

いよいよ、西側の東急が住宅街などを形成しようとしている側に踏み込んでいくために、舞上道路の下をくぐる。

4車線の都市計画道路として計画していたが現在は、2車線道路。

一番奥に到達。日当りのいい、いい田んぼだったんだろうなと思った。

正面のコンクリートのガケの上には、港南台9丁目のマンションが見える。

右側と左側が山で、谷戸になっている。ここも埋めるって?信じられません。

 

谷戸の左の山に近づくと、岩の間をから水が滴り落ちている場所に。

触ってみると、この季節、地上の水なら冷たいはずだが、冷たくない。

ここの水は、北岳の噴火でできた水の流れがそのままで、届いているのではないかとの説もあるとか。

3000m級のアルプスから流れてくる水だとしたら、その水は止められない。埋め立てて何かを建設できるようにはならないのでは?調べてるの?横浜市。

落ち葉が敷き詰められた地面。どこも足を取られそうに、水分タッブリで、ずぶずぶだ。何度もはまった。

「深田」と呼ばれてきた、所以だと実感。

水の流れが見える場所がある。

「こんな流れを、平家ボタルは好むんですよ」との説明。

ここを埋め立てるの?横浜市。

ここで今、生息している平家ボタルを、東側に移して生息させることができると本気で思ってるのかしら、横浜市。

山にのぼっていく。炭焼きに使った木が、切る人がいないので成長している。

この道が、鎌倉道。

江戸時代は江戸道。

江戸へ行く近道だったと。

上郷の山里から、鎌倉に炭を運んで、鎌倉からは魚やお嫁さん!も来たとか。

何とか残されている、自然や遺跡群。

今の私たち世代の決断で、この宝物を未来に残し、手渡せるか。

破壊して取り返しのつかないことになるか、分かれ道だ。

10トントラック、何万何十万台分の土でここを埋め立て、新しい街をつくろうという計画が、許されていいのだろうか。横浜市。

 

 

 

 

 

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