みわ智恵美

三輪 ちえみ
日本共産党横浜市会議員
駆けある記

放射線を浴びたX年後−ドキュメント

2012年2月1日

1月29日深夜にNNNドキュメント‘12「3.11大震災シリーズ27 放射線を浴びたX年後 ビキニ水爆実験、そして」日本TV(南海放送制作)を観ました。

1人の高校教師が、1954年に南太平洋のビキニ環礁でアメリカ軍が行なった水爆実験によって被曝したのは「第五福竜丸」だけだったのか?という疑問をもつ。教え子たちと一緒に、多くのマグロ漁船がそこに航海していたことをつきとめ、当時の乗組員やその家族一人ひとりを訪問し話を聞く。その水爆実験の危険海域に向かっていたのは約1000隻だった。

実は、私も長い間、ビキニで被曝したのは「第五福竜丸(ラッキードラゴン)」だけで、放射線被害で亡くなったのは久保山愛吉さんという認識でした。東京夢の島にある第五福竜丸記念館で、それが間違いであったことを知り、他のマグロ漁船の乗組員や、漁船はどのような扱いを受けたのだろうと疑問を持っていました。

番組では、マグロ漁船の乗組員たちの1954年以降が語られる。調査し始めた1988年までに、241名の乗組員が被曝していたことが分かり、そのうちの77名が死亡していた。その中で、61名が癌で亡くなっていた。その年齢は40、50、60歳代。被曝したマグロは放射線量測定をし廃棄された。

マグロ漁船「第五住吉丸」は「第五福竜丸」とすれ違いに危険海域に入り、2度も死の灰を浴びている。乗組員11名の内8名が胃がんなどの癌で亡くなっている。廃棄され朽ちた姿の35年後の「第五住吉丸」の船体に放射線量測定器をあて調べると、セシウム、ストロンチウムなどが次々と検出されました。まだ、そんなに?!

ビキニでの被曝事件から7か月後、日本政府は「まぐろ放射線検査を中止」した。

アメリカと日本政府は、マグロの廃棄費用と第五福竜丸の乗組員の補償で合わせて200万ドルで決着、他の漁船の乗組員のことは無視したのである。死んでいった彼らは、日本政府やアメリカ政府からなんの補償も無く、長い間病で苦しんだが、医療費も自己負担で、被爆者手帳を求めた乗組員の訴えも、広島と長崎の被曝者でないと却下された。

国民は亡くなった多くの漁師たちのことも、1957年まで行なわれたビキニ環礁での水爆実験によって汚染されたマグロが市場に出続けていることも知らされず、内部被曝し続けてきた。

ビキニ環礁があるマーシャル諸島ではロンゲラップ島をはじめとする島々が住民もろとも死の灰で汚染されました。住民は故郷の島から強制的に排除され、故郷にはいまだ帰れないのです。

深夜ですが、福島の事故によって、被曝の実相が58年たって初めて多くの国民の目にふれることになりました。

「すぐに健康に影響はありません」が、30年40年後は?の疑問にこの番組は答えていました。放射能事故で被災した福島県民、ビキニで被曝した漁師たち、ロンゲラップの住民たちが重なります。「安全」という名の下に打ち捨てられた人々、二度と帰れない美しい故郷。

この番組は2月5日11時(BS日テレ)、18時CS「日テレNWS24」で再放送される予定です。是非見てください。

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